大阪高等裁判所 平成7年(ネ)1319号 判決 1995年12月21日
控訴人 国
代理人 山垣清正 巌文隆 亀井幸弘 ほか二名
被控訴人 山田照夫
主文
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一申立
一 控訴人
主文と同旨
二 被控訴人
控訴棄却
第二事案の概要
次のとおり付加・訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」(原判決二頁六行目から五頁一一行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
同四頁一行目の「還付加算金」を「年七・三パーセントの割合による還付加算金相当額四万八〇〇〇円」と改める。
第三証拠関係
原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 当裁判所は、被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第三 判断」に記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決六頁六行目の「同月」を「平成元年三月」と改める。
2 同九頁三行目の「出たが」から同四行目の「これに対し」までを「出るとともに、その原因は同職員の入力操作の過誤にあると説明したが、本件銀行が氏名照合を怠つた過誤も原因として競合しているとも述べたので、原告としては、茨木統括官が銀行の過誤の方を強調しているような印象を受けた。その際、」と改める。
3 同一〇頁三行目の「解約したため、」の次に「右京税務署長からの支払委託書が本件銀行に送付されたものの、」を加え、同行目の「(<証拠略>)」を「(<証拠略>)」と改める。
4 同一四頁一一行目の「したがつて、」から一九頁八行目の「相当である。」までを次のとおり改める。
「そうすると、右金員が本件口座から出金されたのは、原告の右京税務署における納税者番号に切り替えて原告の納付書送付依頼書のデータをコンピューターに入力操作をすべき注意義務を怠り、原告の田辺税務署における旧納税者番号をそのまま入力した右京税務署職員の職務上の過失と、引き落とすべき預金口座の氏名と右依頼書の納付者の氏名とを照合し、両者が一致した場合に限つて右預金口座から引き落としの操作をすべき注意義務を怠り、これを照合することなく引き落しの操作をしてしまつた本件銀行の職員の業務上の過失とが競合したことによるものというべきであり、それによつて原告は、一五万六一〇〇円相当の預金債権を失つて財産権を侵害されたものといわなければならない。
しかし、一般に財産権が侵害された場合においては、それによつて被害者がなんらかの精神的打撃を受けることがあつたとしても、財産的損害の填補を受けることによつてその打撃による精神的損害も同時に填補されるのが通例であるから、財産権を侵害されたからといつて精神的損害の賠償(慰謝料)を請求することはできないのが原則というべきであつて、例外的にこれを請求することができるのは、侵害された財産権が被害者にとつて特別な愛着の対象であるとか、侵害行為が害意を伴うなど被害者の精神的利益や平静を著しく害するような態様のものである等高度の違法性を帯びる場合に限られるものと解するのが相当である。
そこで、本件の場合についてこれを考えるに、侵害の対象となつた財産権は預金債権という通常の金銭債権であつて、被害者にとつて特別な愛着の対象となるようなものではないし、また、侵害行為である過失が、一般に高い信頼を寄せられている国家機関の職員による注意義務の懈怠であることは前記のとおりであるけれども、それが被害者の精神的利益や平静を著しく害するような高度の違法性を帯びたものと認めることもできないから、結局、前記財産権の侵害によつては、賠償請求の対象となるような精神的損害は発生しておらず、これを理由に慰謝料を請求することはできないものといわなければならない。
そうすると、右精神的損害の発生を前提とする原告の本訴請求は、その他の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。」
二 以上の次第で、被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきところ、これと異なる原判決はその限度で不当であるから、控訴人の控訴に基づき原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤原弘道 辰巳和男 楠本新)
【参考】第一審(京都地裁 平成六年(ワ)第四〇七号 平成七年四月二八日判決)
主文
一 被告は原告に対し、金三万円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は原告に対し、金三〇万円を支払え。
第二事案の概要
一 訴訟物
本件は、原告名義の銀行預金口座から、他人名義の所得税相当額の金員(一五万六一〇〇円・以下、本件金員という)が、無断で振替納税されたとして、国家賠償法一条一項に基づき、慰藉料を請求する事件である。
二 前提事実(争いがない)
1 平成二年三月七日、原告(当時の住所・大阪府高槻市○○)は、平成元年分の所得税の確定申告書と口座振替納付に係る納付書送付依頼書を茨木税務署に提出した。その振替金融機関は第一勧業銀行長岡天神支店(以下、本件銀行という)、指定預金口座は原告名義の普通預金(口座番号<略>・以下、本件口座という)であった。
2 右平成元年分の原告の所得税三四万一六〇〇円は、同年四月一六日、口座振替納付によって本件銀行の本件口座から茨木税務署に納付された。
3 しかし、同日、本件銀行の本件口座から、第三者Aの同年分の所得税の納付すべき税額として、本件金員一五万六一〇〇円が引き落とされ、右京税務署に納付された。
4 本件金員は、平成六年九月五日、還付加算金が付された上、被告から原告に返還された。
三 争点
1 本件金員が本件口座から右京税務署に振替納付されたことが、国の公務員である右京税務署職員の不法行為か。これにより、原告は精神的損害を被ったか。
2 右振替納付によって原告の本件銀行に対する預金払戻請求権は侵害されたか。
3 本件金員の返還によって原告の精神的損害は慰藉されたか。
4 慰藉料の額
四 争点に関する被告の主張
1 本件金員が本件口座から右京税務署に振替納付されたことに、税務職員のミスがあったことは否定しない。しかし、原告は、前年分(昭和六三年分)所得税の修正申告に関する不満等もあって、殊更本件金員の受領を拒否したもので、精神的損害は発生していない。
2 本件銀行が振替納付書の氏名と預金口座の名義の照合を怠ったことも、本件金員が本件口座から引き落とされた原因の一つである。したがって、原告名義の本件口座からAの税金として誤って引き落とされた本件金員について、原告は本件銀行に対する払戻請求権を失ってはいない。原告は、何ら権利を侵害されていない。
3 税務職員の不法行為によって原告が財産権を侵害されたとしても、本件金員が返還されたことにより、その精神的苦痛は慰藉されたというべきである。
第三判断
一 事実認定
証拠によれば、以下の事実が認められる。
1 平成元年三月一五日、原告の昭和六三年分の所得税についての確定申告書と口座振替納付に係る納付書送付依頼書が、原告から和歌山県の田辺税務署に提出され、同月二〇日、同税務署から、原告の住所地(当時)を管轄する右京税務署へそれぞれ移送された。(<証拠略>)
2 同年五月二日、右京税務署は、原告の納付書送付依頼書のデータをコンピューターに入力するに際して、田辺税務署において設定(新規)していた納税者番号(略)のままで入力した結果、右京税務署における同一の納税者番号であったAに係る振替用預金口座のデータが原告の預金口座(本件口座)のデータに変更された。(<証拠略>)
3 翌平成二年四月、右データに基づきAの平成元年分所得税の納付すべき税額一五万六一〇〇円の振替用納付書が右京税務署から本件銀行に送られた。(弁論の全趣旨)
4 本件銀行においても、預金口座の名義(原告)と振替用納付書の氏名(A)を照合しなかったため、Aとの取引もなく、コンピューターの画面上に名義相違の表示がなされたにもかかわらず、そのチェックを怠った結果、口座振替により、原告の預金からAの納付税額が引き落とされた。通常では、振替不能(理由・取引なし)として振替用納付書が右京税務署へ返戻されるべきものである。(<証拠略>)
5 原告は、本件口座から税金名目で二口の引き落としがなされていることを直後に知ったが、誤りがあるとは思わず、いろいろ調べていたが、やはり覚えのない税金が引き落とされていると思い、同年六月二〇日ころ、本件銀行に連絡した。そして、翌同月二一日、本件銀行から右京税務署に対し、口座振替により、原告の口座からAの納付税額が引き落とされたことの連絡がなされた。(<証拠略>)
6 同月二二日、右京税務署の茨木統括官(以下、茨木統括官という)が、原告の住所地に電話したところ、原告の妻が応答し、原告に直接電話してほしい旨の申出を受けた。その直後、原告から電話があり、茨木統括官は、原告から、ミスの原因等について原告の勤務先で説明してほしい旨の申出を受けた。(<証拠略>)
7 そこで、同月二六日、茨木統括官は、原告の勤務先である和歌山県白浜町所在の○○を訪れ、原告に対し口座振替について謝罪し、原告の口座から引き落としたAの納付税額(本件金員)を至急返還する手続を行うと申し出たが、右京税務署の入力ミスよりも本件銀行が氏名照合を怠ったことがその原因であるかの如き態度を示した。これに対し原告は、前年分(昭和六三年分)所得税について右京税務署の担当者の指導に基づいて確定申告をしたにもかかわらず、修正申告を余儀なくされ、延滞税まで賦課されたとして、不信感、不快感を感じていたことから、二年続けて同一税務署のミスで被害を受けるようなことは認められないと考え、昭和六三年分所得税の修正申告の延滞税の免除が認められるまでは本件金員の返還は受けない旨申し出た。(<証拠略>)
8 同月二九日、右京税務署長は、原告名義で、所得税の過誤納として還付金の支払手続(原告の本件口座への振込入金)を行うとともに、茨木統括官は、原告及び本件銀行に対してその旨を伝えた。ところが、同日、原告が本件口座を解約したため、還付金の振込はできなかった。(<証拠略>)
9 翌同月三〇日、茨木統括官が○○で原告と会い、昭和六三年分確定申告の申告相談時のミスについて謝罪したところ、原告は、右京税務署が昭和六三年分のミスを認めて、延滞税免除通知書を交付すれば、本件金員を受け取る旨申し出た。しかし、この時の話し合いは、右延滞税の件が主で、本件金員の返還の方法等について話はなされなかった。(<証拠略>)
10 同年七月二日、右京税務署長は、原告名義で還付金の支払手続を行い、茨木統括官が、原告に対しその旨伝えた。そして、同日、原告の住所宛に国税還付金支払及び充当通知書(以下、支払通知書という)を簡易書留で発送した。しかし原告は、白浜町所在の○○にいたため、右支払通知書を受け取らず、同月一六日、留置期間経過を理由に右京税務署に返送された。(<証拠略>)
11 同月二〇日、右京税務署の岩崎総務課長と管理部門の下林統括官(以下、下林統括官という)は、○○で、口座振替について原告に謝罪し、早急に本件金員を返還したいとしてその受取を要請した。しかし、当日、現金はもちろん、支払通知書も持参してはいなかった。これに対し原告は、昭和六三年分の前記申告時の税務署員のミスについて署長名による謝罪文書を要求し、その解決まで本件金員ないし支払通知書の受取を拒否する旨述べた。(<証拠略>)
12 同年八月二日、本件銀行の白石支店長が○○を訪れ、本件銀行側のミスを原告に謝罪した。そして、税務署側の対応に対する原告の不信感を感じた白石支店長は、翌八月三日、右京税務署の山川副署長(以下、山川副署長という)に電話し、誠意ある対応を依頼した。(<証拠略>)
13 同月一〇日、山川副署長と下林統括官は、○○で原告と会い、本件金員が本件口座から振り替えられた事実経過を改めて説明し、本件銀行側のミスも指摘した。原告が、本件金員の返還方法について尋ねたところ、山川副署長は、納税者に返還するとのみ答え、その手続、納税者名を明らかにしなかった。この時、山川副署長は、現金はもちろん支払通知書も持参していなかった。(<証拠略>)
14 同年一〇月一六日、右京税務署長は、Aからの重複納税としてA名義で還付決定をし、本件銀行を振込先銀行として(口座番号は空白)、本件金員に還付加算金を加算して振込入金した。以後、右金員は、本件銀行において、A名義の別段預金として保管された。本件銀行では、右預金を原告の預金の替り金として扱っており、原告からの請求があれば、いつでも支払がなされる状態にあった。(<証拠略>)
15 同月一七日、山川副署長は、下林統括官及び本件銀行の大橋副支店長と共に原告の自宅を訪ね、本件金員の直接返還を求める原告に対し、本件金員は、本件銀行へ一旦返還したうえ、本件銀行が原告に返還する旨伝えた。(<証拠略>)
16 同月三一日、本件銀行の白石支店長が○○を訪れ、原告に対し、本件金員の返還を右京税務署から受けたこと、いつでも原告に返還する旨を伝えた。(<証拠略>)
17 同年一二月二六日、下林統括官と右京税務署の古谷総括上席が、○○で、原告と面接して改めて謝罪し、本件金員は本件銀行を通じて返還する旨伝えた。(<証拠略>)
18 以後、右京税務署側では原告に接触していない。(弁論の全趣旨)
二 争点1について
前提事実及び認定事実によると、A名義の税金相当額である本件金員が、原告名義の本件口座から振替納税されたのは、右京税務署職員の行った納税者番号の入力ミスと本件銀行側が預金口座と振替用納付書の氏名照合を怠ったことが競合して発生したものと認められる。
したがって、右行為は、国の公務員である右京税務署職員の過失ある職務行為と、本件銀行職員の過失行為の競合により発生した共同不法行為と認められ、この行為により、原告の預金債権という財産権が侵害されたことは明らかである。
しかも、預金口座から、本人の知らない間に引き落としがなされるということは、金銭の安全な保管という預金者の信頼を失わしめるもので、しかもそれが国家機関によって行われたという点で、被害者たる原告が精神的苦痛を受けたであろうことは優に推認することができる。
よって、本件金員が本件口座から右京税務署へ振替納付されたことは、国家賠償法一条一項にいう不法行為に該当し、これにより、原告は、精神的損害を被ったということができる。
三 争点2について
被告は、本件金員の無断引き落としにより、原告の本件銀行に対する預金払戻請求権は消滅していない旨主張する。
確かに、本件金員の無断引き落としは、本件銀行側の氏名照合ミスもその一因をなしており、原告に対する関係で有効な引き落としとして認められるか否かは問題である。したがって、原告は、本件銀行に対し、本件金員の払戻請求権を失っていないとみる余地はある。
しかしながら、預金通帳の上では既に本件金員の引き落としがなされた旨記載がなされているのであるから、これについて改めて払戻を請求した場合、本件銀行において容易に二重の払戻に応じるとは考え難い。
してみると、本件金員の無断引き落としによって、原告の預金払戻請求権は実質的にみて社会的な価値を失っているというべきであり、かかる価値の喪失も不法行為上の損害とみるのが相当である。
よって、被告の右主張は採用できない。
四 争点3について
不法行為によって権利を侵害された被害者は、多かれ少かれ精神上の苦痛を被ることが推測されるけれども、その侵害が排除されるか又はよって被った財産上の損害が賠償されるときは、特段の事情のない限り、それによって同時に被害者の精神上の苦痛も慰藉されるとみるのが相当であることは、被告主張のとおりである(最判昭和四二・四・二七集民八七号三〇五頁参照)。
しかし、預金に対する信頼を失わしめたうえ、右京税務署職員のミスが原因であることが明らかであるにもかかわらず、わずか十数万円の本件金員の返還に、前認定の交渉経過を経て四年半近くもかかっている(しかも本訴提起後である)本件の場合、結果的に本件金員が返還されたというだけで、原告の精神的苦痛も慰藉されたとみるのは相当ではないというべきである。
むしろ、紆余曲折を経た交渉経過も踏まえて、慰藉料の額を算定するのが相当である。
よって、この点に関する被告の主張も採用できない。
五 争点4について
前認定の事実によると、本件銀行からの連絡を受けた右京税務署では、早速その翌日原告に連絡を取り、和歌山県白浜町まで出向いて謝罪し、本件金員を至急返還する旨を申し出たが、原告は、前年度の修正申告にかかる延滞税の免除を求めて受領を拒絶し、振込先の本件口座を解約したことなど、原告の対応にも問題のあることが認められる。しかし、一方、右京税務署の側でも、幾度も原告に面会しながら、本件金員を直接支払ったり、支払通知書を手渡すようなこともせず、最後には、副署長まで出向きながら、本件銀行のミスを指摘するのみで、返還の方法を明示せず、結局、A名義で本件銀行に預金して本件銀行を通じて原告に返還しようとする態度をとったこと、その後は本件銀行に処理を任せたかの如く、三年以上も放置したことも認められる。
これらの諸事情に、本件の元々の原因が右京税務署職員の納税者番号の入力ミスにあること、本件金員の額やその後還付加算金が付されて返還されていることなどを総合考慮すると、慰藉料の額としては、金三万円が相当である。
第四結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、金三万円の慰藉料を請求する限度で理由があるが、その余は失当であるから、主文のとおり判決する。
(裁判官 松尾政行 中村隆次 河村浩)